医療法人志紀会 希咲クリニック 婦人科 外科 産婦人科 乳腺外科

診察時間

時間帯
09:30〜12:30
12:30〜19:00

◯ 診察 — 休診

9:30~12:30 15:00~19:00 土曜AMのみ 予約制 WEB予約可 科により異なる 臨時休診あり
休診日について: 特になし

アクセス

住所
532-0023
大阪府大阪市淀川区十三東2丁目7番8号 十三東駅前ビル3階
アクセス

登録なし

駐車場
登録なし
地図検索を行う 地図から病院を探すことができます

医療法人志紀会 希咲クリニックからのお知らせ

なかなか聞けない女性のお悩みに答えるドクターネルソンズカフェ 始まっています。

是非、お気軽にお越しくださいね。

 

 

 

先生はマレーシアからお越しになられたそうですね。どういう経緯で日本のドクターになられたのかとても興味があります。

マレーシアで生まれ、戦後の日本の復興はとてもすごいことだと思いながら、育ちました。東南アジア、たとえばマレーシアは天然ゴムという資源が恵まれていますから、マレーシアが先に成長を遂げても、おかしくないですよね。急成長を遂げた日本を外国から見ていて、「日本人はすごい!」と思いました。ドラマ「おしん」を英語で見て、ますますその思いは募りましたよ。こんな中から成長を遂げたのかと。

 

それにしてもいきなり日本に来られるという事は、ご実家は裕福で、日本語の教育環境も整ってらっしゃったのでしょうか?

とんでもありません!実家はとても貧しかったです。日本語も日本に来るまでは全く分かりませんでした。貧しい暮らしをしていて、ふと思ったんです。このまま貧しく生きて、貧しく死ぬくらいなら、海外に行って飢え死にしても一緒ではないか、一度きりの人生どうせ飢え死にするなら海外にいってみようじゃないか。そう、覚悟を決めた瞬間がありました。守るものがないのは強みとも言えますね。ただチャレンジするのみですから。

 

すごい決断ですね。どのようにして日本に来られたのですか?

日本語学校に申し込んだら運よく入学の許可が下りました。親も覚悟を決めてくれたのか、日々の生活が大変な中、借金をして、3か月分の授業料、片道航空券を用意してくれて送り出してくれました。日本に向かう際の言葉は「帰りは自分でなんとかしろ」でしたけどね。

 

【穏やかで優しい山分ネルソン先生】

素晴らしいご両親ですね。そうして日本に来られたのですね。

日本語学校で1年ほどアルバイトをしながら勉強をしました。当初、医学部は考えていませんでした。それはさすがに高望みだと周囲からも反対されましたしね。そんな折、北海道大学の薬学部の評判を聞きつけ、北海道大学を受験することにしました。運よく合格することができました。

 

日本語学校にたった一年通って、北海道大学に合格されるとはただただ凄いですね。

貧乏だったのが良かったのです。とにかく食うためには働かないといけない、苦手な日本語も使わないと働けない、日本語学校では働き疲れて寝てしまう事もありましたが、環境に鍛えられて、日本語は日に日に上手になっていきました。裕福な家庭の学生は、授業のあと友人と連れ立って、カラオケで交流を深めたりしていましたが、それだと日本語を使いません。僕は貧乏だから、半ば強制的に日本語を使う環境にいたのが良かったのでしょう。ただただ、必死でした。

 

大変な努力をされたんですね。

 

いや、せざるをえなかっただけです。人間一度死ぬ気になれば、大抵の事は乗り越えられますよ。

 

合格されてから、北海道大学の修士課程まで終えられたのですね。

そうですね、当初は博士課程まで行こうと思い、奨学金も決まっていましたが、医学の道への興味、想いは自分の中で消えることはありませんでした。いくら薬の勉強をしても、患者さんと接したことはありませんし、正直に言うと病気のことはほとんど知らない状態でした。悩んだのですが、奨学金も全部辞退して、もう一度やり直すことにしました。

 

やり直した道が、大阪大学の医学部ですか?そう簡単にはいかない道だと思いますが。

そうですね。編入試験にも挑戦しましたが、あれは難しすぎますね。本当に優秀な人たちが集まってきて倍率は30倍を超えていたのではないでしょうか。それで最初から受験しなおすことにしました。小論文に絞った対策をして、何とか合格することができましたね。

 

簡単におっしゃいますが、大変ですよね。

 

いやあ、振り返ってみると18歳のころに、日本語が分からない中、アルバイトをして大学に入学しようと、死ぬ気で頑張っていた時代があったからです。あの時代を思えば大概の事は怖くなくなりました。大学に入学できなければ、留学ビザは下りないわけですから日本に居られなくなります。だからといって親に借金までしてもらっているのに、手ぶらで帰るわけにもいきません。必死です。今だから言えることですが、もし大学に入学できなければ、不法滞在して、働くことまで脳裏をよぎりました。まあ、それでも、何とかなったんです。それを思えば、医学部を受けなおすことなんて、本当に幸せで恵まれた状態ですよ。薬剤師の免許も頂きましたしね。18歳のときにできたことが今できないわけがない。そう思って医学部にチャレンジしました。

 

すごいエネルギーですね。そこまでして医学の道に進まれるのには、強い動機があると思うのですが、いかがでしょうか。

最初の動機は、やはり家が貧しかったことです。マレーシアでは公的医療保険もありません。全額自己負担の自由診療です。私の家族に限らず、マレーシアの人は、ちょっとした病気だと病院に行かずに我慢します。マレーシアの医療制度に憤りも感じていました。「それなら自分がいっそのこと医者になってやる!」という気持ちを持ちましたね。若かったですね。また、交通事故の現場に出くわしたことがあります。血だらけになっている人を目の前にして、自分は何もできなかった。そんな自分に腹が立ちました。そんな経験が、医学への想いを強めていったのだと思います。

 

産婦人科はどうして選ばれたのでしょうか?

 

実は、最初は産婦人科になりたいとは思いませんでした。ただ、よく考えてみると、同時に二つの命を診ることができる分野というのは、そう多くはありません。赤ちゃんが誕生する喜びもあります。妻が出産で大変な思いをしていたところ、産婦人科の先生に助けてもらい感動したというのも動機に繋がっていますね。いざ産婦人科の道に入ってみると、入る前には分からなかった、気づきが色々とありました。

 

 

どういう気づきがあったのでしょうか?

簡単にいうと環境が過酷ということです。妊婦さんと赤ちゃんの二つの命を預かるわけですから、責任は重くのしかかります。例えばアメリカの場合だと、訴訟問題に備えた保険を用意する収入が確保されているのですが、日本では例えば公立病院に勤務した場合は、一律の公務員としての給与のみです。これでは自分を守りきれません。そうした背景もあり、産婦人科医の数も減ってきています。人が減ると、残っている人への負荷がより大きくなり、悪循環に陥ります。そういった問題意識もあり、参議院選挙に立候補しました。落選はしましたがとてもいい経験になりましたよ。実はこの病院を開業できたのも、選挙のお陰です。

 

どういうことでしょうか?

 

選挙活動の時に、私の演説を聞き、気に入ってくださった資産家の方がいらっしゃって、開業に向けての支援を申し出てくれました。半信半疑の部分もあったのですが、その方の僕に対する情熱が半端なく凄くて、そこまでして頂けるなら、やらないと駄目だと覚悟を決めることができました。

 

先生のご人徳素晴らしいですね。どのようなこだわりでクリニックを開業されたのでしょうか。

 

どうせやるなら、他にないクリニックにしたいと思いました。大阪で注目したのは、がん検診の受診率がものすごく低いことです。乳がん検診の受診率は、全国46位、子宮頚がん検診は43位といずれも低い受診率です。検診は数千円でできるにも関わらず、費用を節約しようとします。一旦病気になると、医療費は検診の費用の比ではありません。ただ残念ながら、乳がん検診、子宮頚がん検診を気軽に受診できる環境、まして同時に受診できる環境が十分に整っているとは言えません。ですから、当院では、乳腺外科を設置し、マンモグラフィーを導入して、婦人科も乳腺外科も診られる体制をとっています。もうひとつのこだわりは、女性が働きやすい環境を作ることです。女性は出産をするとどうしても子育てがあり、働きづらくなります。スタッフの中には子育ての最中の方もいますので、そのあたりも配慮して、キッズルームを作りました。ちょっとした託児所的な機能を持たせて、働きやすい環境作りに努めています。

【マンモグラフィーが導入されており、身近に乳がん検診が受けられる環境が整っています】

 

そういった環境作りが選挙でも訴えてらっしゃったことでしょうか。

 

そうですね。選挙では大きな理想を訴えましたが、大きなことはできずとも、小さなモデルから始めることが大切です。それがモデルケースになれば良いわけですから。将来的には、保育士さんに来てもらい託児所の機能をより充実させて、スタッフ、患者さんとも女性がさらに通いやすい環境ができればと考えています。

 

女性が通いやすい、女性目線でのクリニック経営をされているのですね。

 

女性が通いやすいという点で言うと、助産師さんの外来を用意している点も特徴の一つです。いきなりドクターに相談だとどうしても敷居が高くなります。また気を使うこともあるでしょうから、助産師さんのための部屋を一つ用意しています。相談しやすいと、とても喜んで頂けていますよ。産婦人科、乳腺外科、助産師外来と3つの外来がありますが、大病院とは違いほんお数メートルの距離ですから、お互い顔の見える細やかな連携が取れています。

 

クリニックの中に、女性をお守りするファミリーがあるみたいですね。

 

そうですね。それぞれの役割を存分に発揮する環境があると思います。役割分担という意味では、大病院との連携も大切ですね。いざという時には設備の整っている大病院に行って頂くこともあります。お互い助け合うということが大切ですから、一週間に一回ほど淀川キリスト教病院に当直に行き徹夜をしています。多少の無理をお互いに聞くことで、連携がスムーズにいっています。患者さんが安心して来ていただけるための材料の一つではないでしょうか。

【受付の皆様もとても爽やかで素敵な笑顔で迎えてくださいます】

 

幅広いネットワークを築かれているのですね。外国語の対応もされてらっしゃるようですが。

 

はい。自分が日本に来た時に心細かったということも動機の一つですが、もうひとつの動機は、外国人誘致の動きがあるにもかかわらず、受け入れ態勢が十分に築けていないことに、自分なりに何とかしたかったからです。外国人の方がちょっと英語で聞くだけで、「英語は無理」と門前払いしてしまうのは、少し考えものだなと。ですから、英語、韓国語、中国語ここくらいまでは対応したいなと思い運営しています。遠くから、多くの外国人の方が来てくださっています。十三は、大阪市内にも、神戸にも京都にもアクセスしやすい位置にありますからね。

 

これからどのようにしていきたいですか。

 

まずは自分のモデルをしっかり確立させたいですね。大きすぎず、小さすぎず、役割が明確で、お互いに補い合う、そんなモデルをよりしっかりとしたものにさせていきたいと思っています。余談になるかもしれませんが、海外から来た僕の目線から見ると、日本人の方が気づけていない日本の素晴らしい点が沢山あると思います。謙虚で恥じらいを感じる文化が素晴らしくもあり、もったいなくも感じます。日本人の持つ素晴らしさを取り入れて、新たなクリニック経営のモデルを築くことができれば、これほど嬉しいことはありません。

 

編集者から一言 -
マレーシアから来られた山分先生、お話を伺うのがとても楽しみでした。ここまで来られた道のりは色々あっただろうに、苦労を感じさせない、謙虚な先生の姿勢には頭が下がります。クリニックに伺った際も、スタッフの皆様含めて、笑顔で丁寧に迎えてくださり、とても心地よい時間を過ごすことができました。女性の悩みに色々なアプローチからのサポートがあり、心強いですね。女性の目線に真剣に向き合っておられます。希望のもてる希咲クリニック、悩みのある女性の方は、まずは気軽に行かれてはいかがでしょうか。心が通じる時間を通して、希望が咲く瞬間が生まれると思います。      森拓哉

掲載している情報について

掲載している情報は、株式会社ホロスプランニングが独自に収集したものです。 (※診療時間や診療科目については一部、病院・診療所の責任において情報提供されたものを含みます。)

正確な情報に努めておりますが、内容を完全に保証するものではありません。

また、臨時休診や受付時間の変更、予約等が必要になる場合もございます。 事前に電話確認の上、来院される事をお薦めいたします。